弱いは悪なのか

 

社会のせいにするな、他人のせいにするな

 

弱いことはどうやら怠慢という悪らしい。

しょうがなくておきた不運なことも、怠慢という悪。

 

弱い人は努力すれば強くなれるし

不運なことはもっと努力すれば避けられるらしい。

 

私はそうは思わない。

このツイートには、自殺に対する理解の欠如以上の問題が存在する。

 

それは、自分の人生やそれに起きることは、全部自分でコントロールできるという傲慢さである。

 

人生は自分しだい、と言ったとき、それは正しいと思う。

ほかの誰のものでなく、自分のものだから。

 

でも自分の人生を全部コントロールできるといったら、それは間違いだ。

自分や自分の人生以上に支配しにくいものはない。

 

私は、周りの人がいるからあなたの人生があるんだ、といいたいのではない。

 

自分と同じ土俵にあって、同じようなハードな努力をしても、同じ結果が得られない人がいる。

どうしても人生が思うようにいかなかったり、苦しみから抜け出せないこともあるだろう。

 

だが、それの何が悪いのだろう。

人生は劇みたいなもので、運に左右されるところが大きい。

なぜなら、すべてが数式のように同じことをすれば同じような結果が得られるのであれば、人間が未来のことがわからず占いをしたりすることもないからである。

 

自分ではどうしようもないこともあって、それが他人にもあるということが言いたいのだ。そして、しかもそれは当たり前だ。

だから、失敗してしまった人や負けてしまった人をみたときに、社会とか他人のせいにするななんていわないでほしい。

その人たちが自分だったかもしれないじゃないか。

 

実際社会や他人のせいで起きたこともあるだろう。

それを認めてでも、自分の人生における問題と向き合うことは可能だ。

 

自分の人生はほかでもない自分のもので、自分ではどうしようもないことがあっても、他人にどんなに邪魔されても、自分しかこの人生を生きられないのだ、という自分の人生にたいする信頼をもてば、できるのだ。

 

だから弱いは悪ではない。弱い自分のままで、自分の人生を好きなように生きたっていいじゃないか。