ゼロウェイスト ー アートなエコ。

ゼロウェイスト、ミニマリズム、オーガニック。環境にやさしく、お金をかけず、自分にやさしく。

ゼロウェイストでない人と暮らす。

私は家族と暮らしているが、ゼロウェイストをやろうとしているのは私だけだ。

 

しかも家の中の役割もあって自分ではコントロールできないところも多い。

 

そもそも強制しようと言う気もないからもしかしたら端から見れば中途半端なのかもしれない。 

 

しかしゼロウェイストを広めると言う事は、 ゼロウェイストでない人にゼロウェイストを説明すると言う事でもある。

という事はゼロウェイストでない人にどう説明するかについてやどう理解してもらえるものなのかについて、日常的に体験している事は決して無駄ではないと思う。

 

自分としてもそんなに長い間実行しているわけでもないのに、実行していなかったときの気持ちを思い出すのは難しい。

この間の旅行の時のように一旦緩和することができるけれども、今緩和したところで環境問題やゴミの問題について何も知り得なかったときの気持ちに戻ることはできない。

 

だからこそ自分とライフスタイルの違う人間と一緒に暮らす事は意義あることだと思う。

 

もちろん妥協点になかなかたどり着けない葛藤や、全く自分の思い通りにならないフラストレーションが溜まったりもする。

 

でもそれはゼロウェイストに限ったことでもない。考えが違うのは当たり前だし、それにたまたま名前が付くとものすごく違うような気がするだけで、大体の人は人と自分がかなり違うことををそんなに意識しないようにして生きていっているだけである。

 

たしかに人と自分の単なる違いに対する違和感と、環境を守らなければならないと言う倫理観が合わないことに対するフラストレーションは違うと言うのは間違いでは無い。

 

しかし私が言いたいのは、ゼロウェイストにはもちろん環境を守ると言う側面もあるのだがそこだけが強調されるべきではないということである。これを実行している人のほとんど今実感することだと思うが、環境守るためにやっているつもりが自分のためになっていることも多いと言うことである。そしてそれで良いのである。

 

本来ゼロウェイストは自分も他人も環境も良くなれば良いと言う考えが基本にあるべきだし、だからやっている人がやっていない人に対して自分が倫理的に正しいということに基づいて人を批判するのが余計なそれこそ「違和感」を生じさせるのだ。

 

だからゼロウェイストでない人と暮らすのはそんなに難しいことでは無い。というか難しく考えると難しくなる。

 

相手がどうして同じ考えにならないのかと考えるよりも、じわじわと実行している姿を見てどう考えているか判断してもらえばいいだけなのかもしれない。