ゼロウェイスト ー アートなエコ。

ゼロウェイスト、ミニマリズム、オーガニック。環境にやさしく、お金をかけず、自分にやさしく。

人間がする合意と人間の尊厳

人間と人間がする合意は、紙面上のものだったとは。

人間とその合意には社会的尊敬がなかったとは。

合意が、人間の尊厳への危害を正当化するとは。

こんな事はもう実感として、四半世紀生きてきてわかっているはずだと思っていた。そして、わかっている事で自分自身が無駄な諦めをしてきたことも。

高畑裕太氏が世間を騒がせたことで、私の封印されたニヒリズムは目が覚めた。彼のやったことは、刑法上成立しないとしても、強姦致傷であった。彼は、当初自分は大変なことをしたと語った。そうして、所定の手続きを終えたあと、彼の弁護士は語った。「合意のうえともとれる行為であった」

それを読んだとき、世間は彼が語った言葉との食い違いに疑問をもった。

それを読んだとき、犯罪学をやった自分は、文字通りに読んだ。

そして、世間が、食い違いにばかり疑問をもつことに驚き、失望した。

結局強姦罪は、その本質として親告罪である。日本のこの罪にかんする条文には、対象が女性でなければならないとか、準強姦という罪の存在など、それだけで本が書けてしまうような問題が山積している。

しかし問題は、強姦罪の成立は世界的にも、合意した上での行為かどうかに重点が置かれていることにあると思う。

これでは、人間がする合意はただの条件でそして記号で、まるで尊敬がない。これでは、その合意はまるでただの法的記号のようだ。

合意したとかしていないとかそういうことではない。人間が存在しうる最も無防備な状態で、他の人間を恐怖に陥れ、暴力を振るったり、怪我をさせたりして、その人間の尊厳を壊すことに、この罪の本質はあるべきだ。

一体どの人間が、自分の基本的な尊厳を失うことに自ら合意するのだろうか。

強姦は合意しない性行為ではない。強姦は支配なのである。

れっきとした、他の人間の尊厳にたいする支配である。

たとえ、当事件における女性が、部屋に入ってしまったことが彼女の職務上の規定やプロフェッショナルであることに反するとしても、話は別だ。彼女が強姦されたくて部屋に入ったはずはない。

もし世間のいうように彼女が彼を騙してお金をとろうとしたとしても、こうした事件が起こることから彼が自分を守る方法はいくらでもあった。それに、仮に騙されたのだとしても、それは彼が数多くの女性(彼の場合は)に対して継続的に以前から同様のことをしていたことの報いでしかない。

騙されたら、他の人間を恐怖に陥れ、暴力を振るったり、怪我をさせたりして、その人間の尊厳を壊してもよいのか。

合意があれば、他の人間の尊厳にたいする不法な支配をしてもよいのか。

これなら、5歳児でもわかる:見た目で嫌がっていなければ、人を怖い目にあわせていいのか。

これではまるで、合意は不正な行為への青信号である。

これではまるで、人間の尊厳は置いてけぼりだ。

どうか、彼がだまされたとか、病気だったなどと吹聴して、

この国で、人間のする合意と人間の尊厳が、重んじられていないことをこれ以上より強固に証明しないでほしい。

これについて私のできることはただ一つ、こうしたものを書いて人間と話すことで、1ミリでも人間のする合意と人間の尊厳を取り戻す努力をすることかもしれない。